結婚と相手の家族
上越で婚活
結婚して、子供が生まれて、親と同居が始まって
半年後に親は出て行ってしまったことで
平和になったと喜んだのもつかの間で
次は夫婦の危機が訪れたのでした
詳しくは書けませんが、子供3人連れて
家を出ようと決心をした日、東京に行ってから実家に戻ろうと
新幹線の改札をした直後、保育園児の息子がトイレで血尿がでて
そのまま市民病院にいくはめになり、家では延期・・・というか中止に・・・
元の生活に戻るのに時間はかかりませんでした( ;∀;)
息子の血尿がなかったら、離婚していたことでしょう(^^♪
その後、舅は亡くなり、姑が1人暮らしになりましたが
くもまっかを患い、やむを得ず・・・というか
またしても、同居になりました
不安だらけなんてものではない
主人の兄弟のお姉さん2人が、「母をよろしくお願いしたいから、挨拶に行きたい」と
言われたのに、もういっぱいいっぱいで・・・・
お願いされても変わらない現実と、不安で、なんと挨拶はいらないと断ったのでした
失礼な嫁!!!!ですよね
そして、姑との同居が始まり
またしても、色々変わりました
食卓は賑やか・・・・(´・ω・`)
家に帰ると、主人、3人の子供と姑が毎日楽しそうに暮らしている現実を
受け入れるのに時間もかかりましたけどね(^^♪
そんな中、姑は病み上がりだったので
毎日、ベットから起きない生活が始まりました
というか・・・
ご飯の時とか用事がある時以外は、暇な時間をもてあまして
ベットに入ってテレビを見るというぐうたらをしていたのです
具合も悪いのかと心配をしていたら
私が会社に行っている間に、近所の人と遊んだり
片道15分かけて、公民館に歩いていったり、月1回髪を染めにいったり
老後をエンジョイしていたようでした
しかし・・・・
そのエンジョイがたたり
認知症の予兆が始まりました
最初は寝巻きで過ごす時間が、おかしな時間になったり
寝巻きのまま外で放浪したり・・・
下着も大便で汚れて悩まされる羽目に・・・
認知症はじわじわやってきました
いよいよ、介護施設にと嫁である私自ら駆使して
介護2級として、施設を利用し始めてから
徐々に私の介護も楽になり、仕事に専念できる日々が始まりました
あれだけ自由で煩悩で私を困らせたのに、施設に入所してからは
さみしくなり、2日に1回は私だけが通ってました
施設に行かない日は、お世話は大変でしたが、行けば行ったで寂しいなあと
姑に対して愛情が沸いている自分がいました(^^♪
そして姑は認知症で施設にいたのですが、持病の心臓病で施設から顔色が悪いと
連絡をもらい、私たちで病院に搬送し検査中に危篤となり
私と主人の手を握りながら、この世を去りました
そして、気が付いたら私は40歳でした
そこからは、会社、仕事、仕事、人事
会社の人事でずっとすったもんだで
今があります
入会手続き、お見合いのセッティング、パーティーのサポート、恋愛相談、成婚相談
毎日毎日、バタバタで
仕事だから、どんな苦労も経験と感謝でしかないです
結婚するまでは
独身貴族でしたが
当時結婚の年齢が速かったので
私は25歳で彼氏もいないことに焦りを感じていた中
出会って結婚したのです
あの焦っていた時期は思い出すと
わびしい気持ちでした
友達は全員結婚
遊びに行く人がいなくて、むなしい気持ちでいっぱいで( ;∀;)
で、結婚したら
そんなむなしいとか
悩む暇もないままあっという間に
30年
苦労とは思ってないけど
あまりにも
色々ありすぎて
これはきっと
結婚相談所の仕事をするために、神様が経験させてくれたのかと
想いながら、自分を励ましながら
生きてきました
みんなそうだと思うのですが
人生って物語ですね
こうやって思いだすと
懐かしい
あんなに涙をこらえて生活していたのに
満面の笑顔で思い出している
半年後に親は出て行ってしまったことで
平和になったと喜んだのもつかの間で
次は夫婦の危機が訪れたのでした
詳しくは書けませんが、子供3人連れて
家を出ようと決心をした日、東京に行ってから実家に戻ろうと
新幹線の改札をした直後、保育園児の息子がトイレで血尿がでて
そのまま市民病院にいくはめになり、家では延期・・・というか中止に・・・
元の生活に戻るのに時間はかかりませんでした( ;∀;)
息子の血尿がなかったら、離婚していたことでしょう(^^♪
その後、舅は亡くなり、姑が1人暮らしになりましたが
くもまっかを患い、やむを得ず・・・というか
またしても、同居になりました
不安だらけなんてものではない
主人の兄弟のお姉さん2人が、「母をよろしくお願いしたいから、挨拶に行きたい」と
言われたのに、もういっぱいいっぱいで・・・・
お願いされても変わらない現実と、不安で、なんと挨拶はいらないと断ったのでした
失礼な嫁!!!!ですよね
そして、姑との同居が始まり
またしても、色々変わりました
食卓は賑やか・・・・(´・ω・`)
家に帰ると、主人、3人の子供と姑が毎日楽しそうに暮らしている現実を
受け入れるのに時間もかかりましたけどね(^^♪
そんな中、姑は病み上がりだったので
毎日、ベットから起きない生活が始まりました
というか・・・
ご飯の時とか用事がある時以外は、暇な時間をもてあまして
ベットに入ってテレビを見るというぐうたらをしていたのです
具合も悪いのかと心配をしていたら
私が会社に行っている間に、近所の人と遊んだり
片道15分かけて、公民館に歩いていったり、月1回髪を染めにいったり
老後をエンジョイしていたようでした
しかし・・・・
そのエンジョイがたたり
認知症の予兆が始まりました
最初は寝巻きで過ごす時間が、おかしな時間になったり
寝巻きのまま外で放浪したり・・・
下着も大便で汚れて悩まされる羽目に・・・
認知症はじわじわやってきました
いよいよ、介護施設にと嫁である私自ら駆使して
介護2級として、施設を利用し始めてから
徐々に私の介護も楽になり、仕事に専念できる日々が始まりました
あれだけ自由で煩悩で私を困らせたのに、施設に入所してからは
さみしくなり、2日に1回は私だけが通ってました
施設に行かない日は、お世話は大変でしたが、行けば行ったで寂しいなあと
姑に対して愛情が沸いている自分がいました(^^♪
そして姑は認知症で施設にいたのですが、持病の心臓病で施設から顔色が悪いと
連絡をもらい、私たちで病院に搬送し検査中に危篤となり
私と主人の手を握りながら、この世を去りました
そして、気が付いたら私は40歳でした
そこからは、会社、仕事、仕事、人事
会社の人事でずっとすったもんだで
今があります
入会手続き、お見合いのセッティング、パーティーのサポート、恋愛相談、成婚相談
毎日毎日、バタバタで
仕事だから、どんな苦労も経験と感謝でしかないです
結婚するまでは
独身貴族でしたが
当時結婚の年齢が速かったので
私は25歳で彼氏もいないことに焦りを感じていた中
出会って結婚したのです
あの焦っていた時期は思い出すと
わびしい気持ちでした
友達は全員結婚
遊びに行く人がいなくて、むなしい気持ちでいっぱいで( ;∀;)
で、結婚したら
そんなむなしいとか
悩む暇もないままあっという間に
30年
苦労とは思ってないけど
あまりにも
色々ありすぎて
これはきっと
結婚相談所の仕事をするために、神様が経験させてくれたのかと
想いながら、自分を励ましながら
生きてきました
みんなそうだと思うのですが
人生って物語ですね
こうやって思いだすと
懐かしい
あんなに涙をこらえて生活していたのに
満面の笑顔で思い出している
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