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結婚と相手の家族

上越で婚活
04 /04 2018
結婚して、子供が生まれて、親と同居が始まって

半年後に親は出て行ってしまったことで

平和になったと喜んだのもつかの間で

次は夫婦の危機が訪れたのでした

詳しくは書けませんが、子供3人連れて

家を出ようと決心をした日、東京に行ってから実家に戻ろうと

新幹線の改札をした直後、保育園児の息子がトイレで血尿がでて

そのまま市民病院にいくはめになり、家では延期・・・というか中止に・・・

元の生活に戻るのに時間はかかりませんでした( ;∀;)

息子の血尿がなかったら、離婚していたことでしょう(^^♪



その後、舅は亡くなり、姑が1人暮らしになりましたが

くもまっかを患い、やむを得ず・・・というか

またしても、同居になりました

不安だらけなんてものではない

主人の兄弟のお姉さん2人が、「母をよろしくお願いしたいから、挨拶に行きたい」と

言われたのに、もういっぱいいっぱいで・・・・

お願いされても変わらない現実と、不安で、なんと挨拶はいらないと断ったのでした

失礼な嫁!!!!ですよね


そして、姑との同居が始まり

またしても、色々変わりました

食卓は賑やか・・・・(´・ω・`)


家に帰ると、主人、3人の子供と姑が毎日楽しそうに暮らしている現実を

受け入れるのに時間もかかりましたけどね(^^♪

そんな中、姑は病み上がりだったので

毎日、ベットから起きない生活が始まりました

というか・・・

ご飯の時とか用事がある時以外は、暇な時間をもてあまして

ベットに入ってテレビを見るというぐうたらをしていたのです

具合も悪いのかと心配をしていたら

私が会社に行っている間に、近所の人と遊んだり

片道15分かけて、公民館に歩いていったり、月1回髪を染めにいったり

老後をエンジョイしていたようでした

しかし・・・・

そのエンジョイがたたり

認知症の予兆が始まりました

最初は寝巻きで過ごす時間が、おかしな時間になったり

寝巻きのまま外で放浪したり・・・

下着も大便で汚れて悩まされる羽目に・・・

認知症はじわじわやってきました


いよいよ、介護施設にと嫁である私自ら駆使して

介護2級として、施設を利用し始めてから

徐々に私の介護も楽になり、仕事に専念できる日々が始まりました
あれだけ自由で煩悩で私を困らせたのに、施設に入所してからは
さみしくなり、2日に1回は私だけが通ってました
施設に行かない日は、お世話は大変でしたが、行けば行ったで寂しいなあと
姑に対して愛情が沸いている自分がいました(^^♪

そして姑は認知症で施設にいたのですが、持病の心臓病で施設から顔色が悪いと
連絡をもらい、私たちで病院に搬送し検査中に危篤となり
私と主人の手を握りながら、この世を去りました



そして、気が付いたら私は40歳でした



そこからは、会社、仕事、仕事、人事     

会社の人事でずっとすったもんだで

今があります

入会手続き、お見合いのセッティング、パーティーのサポート、恋愛相談、成婚相談

毎日毎日、バタバタで


仕事だから、どんな苦労も経験と感謝でしかないです


結婚するまでは

独身貴族でしたが

当時結婚の年齢が速かったので

私は25歳で彼氏もいないことに焦りを感じていた中

出会って結婚したのです

あの焦っていた時期は思い出すと

わびしい気持ちでした

友達は全員結婚

遊びに行く人がいなくて、むなしい気持ちでいっぱいで( ;∀;)



で、結婚したら


そんなむなしいとか

悩む暇もないままあっという間に

30年


苦労とは思ってないけど

あまりにも

色々ありすぎて


これはきっと

結婚相談所の仕事をするために、神様が経験させてくれたのかと

想いながら、自分を励ましながら

生きてきました




みんなそうだと思うのですが


人生って物語ですね


こうやって思いだすと

懐かしい


あんなに涙をこらえて生活していたのに

満面の笑顔で思い出している



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婚活saiko

結婚情報サービスハッピーロードの上越店のメガネのsaikoです。
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